悪魔がいるんだって 神がいるんだって
悪魔は対価を払えば願いを叶えてくれるんだって
神様は対価を払っても願いを叶えてくれないって
私があの時神でも悪魔でも天使でもなんでもいいから殺してくれと、できるだけはやく殺してくれと、命をあげるから私の全てをあげるから殺してほしいと願ったのは
なんだったんだろう
あれだけ切に願ったんだから
神でも悪魔でも聞き入れてくれるんじゃないかと思ってた
むしろ生きていることが
死を望んだ私の罰なのか
生きて、生き地獄を味わえということなのか
そう思うようになった
じゃなきゃもう死んでる
それとも惨めにいじめられて
親からも酷く扱われた私を惨めに思い同情した神か悪魔が命を拾うことをやめたのだろうか。
いつでも命を頂戴できるから生かしているのだろうか
たまたま死ななかった蟻のように天上からも見捨てられたのだろうか
見向きもされなかったのか
どちらにしろまた歳を重ねてしまっている
他人に言えば「そんな風に思う必要はない」と言われるかもしれないのだが
他人が想像する以上にあの時私は死を望んだ。祈った。切に。
だから、今更生きることを切に望むのはおこがましいのだと思っている。
今更、私が幸せを生きることを願うのはあまりにも欲深い。
欲深いと自制しながらも生きているとふつふつと大小、薄い濃い欲がわいてきて。
知らないうちになにかを願っている。
生死に関しては私が願うことはないのだ。
それに値するものではないのだ。
私は実際なにも残していない。
なにも生み出してはいない。
私が生み出す毎日のように
私が消えたとて誰かの日常が変わるわけではない。少なからず大勢の日常が変わらない。
死は日常にどんどん溶け込み
いつか姿も霞んで風景に混ざってしまう
絵の具が筆によってどんどんその色を溶かして馴染んでいくようにいつかその境も、元あったものも見えなくなっていく
誰の死も
誰の死も
誰の死も
2020/07/18