彼岸




祖母の家に行き、挨拶がてら縁側で読書でもしようかと考えた。





祖母のいる部屋を覗くと、祖母はいつも通りスポーツ関連の番組を見ていた。

私は、机の上に置かれた折り畳まれたお札が気になった。


祖母は「彼岸だから坊さんが拝みにくるからよ」と。私は今の坊主と仲が悪いので、仕方なく退散することにした。

あと、昨日作ったふきのとうご飯は「ちぃと米がかたかったが美味しかったよ」といわれた。







昨日、墓参りやいつもの稲荷神社にお参りに行った。




稲荷神社への坂道にはふきのとうがたくさん咲いていて「おっ」となり、つい拝んでいる時に



「ふきのとうがたくさん咲いていていいね」


「私はなかなかふきのとうが見つけられなくて…」と心の中でお話をしてしまった。





その後、散歩をしていたらふきのとうが群生しているのを見つけた。


たまたまかもしれないが「もしかしたら、ふきのとうの生えている所を教えてくれたのでは…」なんて思ってしまう気持ちも少なからずあり「これは一応挨拶せねば」となった訳だ。







礼も含め、見つけたふきのとうで作ったふきのとうご飯の握り飯を稲荷神社にお供えしてもよかったのだが、昔に比べて人通りも多く、生ものを供えるのも気が引けたため


「今晩うちにご飯を用意しておくので、もしうちに来れたら食べていって欲しい、来れるかな?」とお誘いした。


これまた「来た」という確証なんて得られないが。









この時期の墓は楽しい。


たくさん人が来る。

足を運ぶ人々がみんな墓参りをする。


先祖を思ってか、思わずか知らぬが、墓に足を運ぶだけで意味があるのだと思う。




墓に供えられた花を見ているのも楽しい。


良い香りがしたと思ったら、白い沈丁花が生けてあった。墓場で見る花としては珍しい。


「良い香りですね」と思わず墓に話しかけた。





この季節だと花に困らないので、みんな思い思いの花を見繕ってくる。

水仙も多く目についた。大小の菊、私の好きなストックはかなり大ぶりの立派なものがあった。チューリップが差してあるのもあり、可愛らしかった。













自分の家の墓の敷地内に腰掛け、本を読んでいると、斜め3軒向こうの墓の上にカラスが舞い降りた。


よく見れば、その墓には牡丹餅が供えてあった。



よく見つけたものだなぁ、と思い感心していたが、カラスは周りを跳ねて飛び回るだけで食べようとしなかった。


いつ食いつくのだろう、と見ていたがとうとう食べることなく少し先にある、墓全体を見渡すことができる電柱に飛んでいってしまった。この時期に墓に来るなんて、頭のいい生き物だなとつくづく感心した。

胸に丸い模様のついた、カラスだった。





それはそうと、読書をし始めれば墓参りをしに来た人々と挨拶を交わすことになり、ここでも安息の地を得ることはできなかった。




しかし、墓が賑わうのは喜ばしいことだ。いつも自分の家の墓の近所だからといって、見知らぬ墓に線香を供えていたので、墓参りに来ているご家族たちと挨拶ができたことは少々嬉しい出来事であった。




うちの墓にも、新しい線香が添えられていた。






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2022/03/20