憂鬱成秋否我年中憂鬱哉 ❤︎ くいものの秋



さむい


冬が近づいている




高校時代、寒くなると学校終わりのバスを待つ間にコンビニのおでんを買っていた。
種類は3つくらい。



熱々おでんをバス停で食べる。今思えば最高の青春風景だった。
肉まんもよく買っていた。






冷たい空気の中、コンビニで買ったあったかいものを食べる、という特別感は何なのだろう。




28歳になった今でも寒くなれば帰路の途中で熱々の肉まんを買って、食べずにはいられない。否、外で食べるから美味しいまである。





自分で打ち込んでいて思ったが、そうか。私は28になったのか。昔の私が持っていた28歳の人間達の印象は「なぜか魅力的」「人生を楽しみ始める頃」「みんなどこか廃れているがそれなりに人生を歩んでいる」などだった。






今の私はどうだろう。


もうかれこれ5ヶ月は無職である。





いじめをする先輩のいない、休みを好きにとらせてくれる、そんな職場があれば喜んで飛びつく。






生きているだけで国から金を巻き上げられるというのは、ゲームだとしてもハードモードだと思う。




いけない、暗い方に話が進んでしまった。





秋入りする前から、中華街で手に入れた金木犀茶を嗜んでいる。




烏龍茶の後味に金木犀の香りがするものだ。



巷で金木犀が人気を誇っているのを斜に構えつつ、己の嗜みかたこそ風流だと信じていました。




まぁ、飲むものがこれしかないので飲んでいるのも事実ですが。








煮る のが楽しい季節だ。

今の私はそれだけ。



肉まんが美味しい。
おでんが美味しい。

あたたかい飲み物が美味しい。




唐突に死にたくなるけど生きていたい日々です。












彼岸




祖母の家に行き、挨拶がてら縁側で読書でもしようかと考えた。





祖母のいる部屋を覗くと、祖母はいつも通りスポーツ関連の番組を見ていた。

私は、机の上に置かれた折り畳まれたお札が気になった。


祖母は「彼岸だから坊さんが拝みにくるからよ」と。私は今の坊主と仲が悪いので、仕方なく退散することにした。

あと、昨日作ったふきのとうご飯は「ちぃと米がかたかったが美味しかったよ」といわれた。







昨日、墓参りやいつもの稲荷神社にお参りに行った。




稲荷神社への坂道にはふきのとうがたくさん咲いていて「おっ」となり、つい拝んでいる時に



「ふきのとうがたくさん咲いていていいね」


「私はなかなかふきのとうが見つけられなくて…」と心の中でお話をしてしまった。





その後、散歩をしていたらふきのとうが群生しているのを見つけた。


たまたまかもしれないが「もしかしたら、ふきのとうの生えている所を教えてくれたのでは…」なんて思ってしまう気持ちも少なからずあり「これは一応挨拶せねば」となった訳だ。







礼も含め、見つけたふきのとうで作ったふきのとうご飯の握り飯を稲荷神社にお供えしてもよかったのだが、昔に比べて人通りも多く、生ものを供えるのも気が引けたため


「今晩うちにご飯を用意しておくので、もしうちに来れたら食べていって欲しい、来れるかな?」とお誘いした。


これまた「来た」という確証なんて得られないが。









この時期の墓は楽しい。


たくさん人が来る。

足を運ぶ人々がみんな墓参りをする。


先祖を思ってか、思わずか知らぬが、墓に足を運ぶだけで意味があるのだと思う。




墓に供えられた花を見ているのも楽しい。


良い香りがしたと思ったら、白い沈丁花が生けてあった。墓場で見る花としては珍しい。


「良い香りですね」と思わず墓に話しかけた。





この季節だと花に困らないので、みんな思い思いの花を見繕ってくる。

水仙も多く目についた。大小の菊、私の好きなストックはかなり大ぶりの立派なものがあった。チューリップが差してあるのもあり、可愛らしかった。













自分の家の墓の敷地内に腰掛け、本を読んでいると、斜め3軒向こうの墓の上にカラスが舞い降りた。


よく見れば、その墓には牡丹餅が供えてあった。



よく見つけたものだなぁ、と思い感心していたが、カラスは周りを跳ねて飛び回るだけで食べようとしなかった。


いつ食いつくのだろう、と見ていたがとうとう食べることなく少し先にある、墓全体を見渡すことができる電柱に飛んでいってしまった。この時期に墓に来るなんて、頭のいい生き物だなとつくづく感心した。

胸に丸い模様のついた、カラスだった。





それはそうと、読書をし始めれば墓参りをしに来た人々と挨拶を交わすことになり、ここでも安息の地を得ることはできなかった。




しかし、墓が賑わうのは喜ばしいことだ。いつも自分の家の墓の近所だからといって、見知らぬ墓に線香を供えていたので、墓参りに来ているご家族たちと挨拶ができたことは少々嬉しい出来事であった。




うちの墓にも、新しい線香が添えられていた。






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2022/03/20

灰色の中で猫が路地に消えた繊細の行方。



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朝・夜関わらず、世界が薄暗い色の時が好きだ。










アールグレイを求めて近場のコンビニへ行こうとして、映画を観ていたら夜が明けそうな時間になっていた。







丁度いい薄暗さを見計らって、着替えて、皿洗いをしていた。帰ってきたらすぐ米を研げるように。








外に出ると、雨上がりの路面が薄く乾き始めていた。

夜明けの中でも雨上がりは1番ひんやりとしている。










6時過ぎだろうか、こんな朝早くでも(私にとっては朝早い)人々は行動を開始していて、何人もの人とすれ違った。












積み上げられていた雑誌の上に「繊細な人」の文字が印刷された本が乗っていた。

青い文字。興味を惹かれる。






夜明けの灰色の世界に「繊細」が捨てられていた。















いつもの理髪店を通り過ぎる。







過ぎゆく家々は、明かりが灯っている部屋もいくつかあった。

オレンジ色の薄い部屋(起きているのか寝ているのかわからない)、窓際に服の黒い影が見える部屋、、そんな人の呼吸が見える四角い景色が好きだ。

まるで生の絵画を見ているような気持ちになる。








結局、夜明けに巣から這い出てきたものの、コンビニにはアールグレイは置かれていなかった。




まぁ、朝の散歩として

悪いことではない、と店を出た。





帰り道に「繊細」は消えていた。












よい肉付きをした灰色の猫が前を足早に横切って、マンションの横の狭い路地へ姿を消した。


何度も振り返って、姿は見えぬものかと見てみたが、路地は表情を変えず、路地だった。











大通りの横断歩道。歩行者の信号の赤いライトが赤い水溜りのように反射しているのを見ていた。


緑に変わるのを見ていたら、隣のおじさんが少し振り返りながら私を追い越して前を歩いていった。











空が白み始め、朝が駆け足で迫ってきた。



私は明るいのは嫌い、という程ではないが、薄暗いのが好きなので、朝に追いつかれないように朝から逃げた。








早く帰って、熱い飲み物をマグに淹れて飲もうと、ぴりりとする冷気を浴びて家路に着いた。








2021/01/13

サロメとカキフライ定食と時々電マ



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原田マハさんの『サロメ』は電車に乗るときに読んでいる。電車に乗る時しか本を読めていない。サロメを買ったのは初めてお兄さんに会った次の日。古井由吉さんの本と迷ってサロメを買った。一色文庫さんのTwitterにあがってる写真を見て、あのカラシ色の表紙が気になっていた。


そのおかげで、移動中は余計なことを考えずにビアズリーやワイルド、ウィリアムモリスについて夢中で考えていられた。



病弱なビアズリーが、会社勤めのころ狭苦しく空気の悪い電車で通勤しているのを想像した。



ビアズリーは何を観ていたのだろう。

彼は何を思い、その目で何を捉えていたのだろう。





ワイルドはとても魅力的に描かれている。
人を惹きつけ翻弄する芸術的な悪魔のように。



そんな時、彼の作品が頭を過ぎる。



純粋な命が身を削り息絶えたとしても、それは必ず報われることはない、と。努力虚しく人の目に映ることもなく死体が踏みつけられる。





残酷で胸が締め付けられる。
いわゆる、正統派の物語からは逸れる。
ハッピーエンドではない。



それでも、人々を魅了するのは、少なからず読者が内容に対して拒否反応を示していないからだろう。



なぜなら現実は残酷だから。なにもかも、ハッピーエンドで終わる物語は夢物語だ。





残酷で、純粋であるがために愚か。



清い無垢な水が、野蛮で何も考えていない人々によって汚染されていく。





死によって、現実は変わることはないが

たしかにそこで命を削ったものがいた。
たしかにそこで誰かを思って死んだものがいた。





そんな、誰の目にも映らない事実を
読者は知る。












私も現実世界に戻ろう。






池袋。







あの黄色い本を読みながらお兄さんを待った。



お兄さんは寒空の下、テロテロのお洒落な柄シャツに黒の皮ジャケットを着ていた。

そのシャツがすごく似合っていた。





お兄さんと初めて会った時の印象は
ちょっとイカつい、近寄り難い人、だった。


でも、何回も電話で話していたのでお兄さんが温厚で優しくてたまに口が悪い可愛い人だとわかっていた。



このお兄さんがいたら、変な人に声をかけられる心配はないだろうな、と思った。












時刻はお昼を過ぎた。


「マスク買っていい?」


お兄さんはマスクをしてなかった。




「しなくてもいいんじゃない?」

 

「非国民になってまう」






「じゃあ、私も非国民になろうか?」

とマスクを取ろうとすると、止められた。















2人でしばらくブラブラした後、お店に入って、カキフライ定食を頼んだ。
お兄さんは大盛り。




運ばれてきたお膳には見た目からわかるザクザクの衣を纏ったカキフライ。
大きめの器に普段食べる3倍くらいの米の量。



私の視線に気づいたお姉さんが「普通でも多いよね、彼に食べてもらってね」と笑って行った。



「彼」という部分に引っかかってしまう私は変にウブなのかもしれない。


心の中で3度「彼」を繰り返した。


居心地が悪かった。







人を前にして飯を食うというのは、とても羞恥的行為だ。


人は物を食べている時、とても無防備で無意識だ。口を開けて、異物を取り込み、咀嚼し、また口を開ける。


私はこれらの行為が恥ずかしくて、男性の前で飯を食うことがあまり好きではない。




でも、人が物を食べる姿を見るのはとても好きだ。人間が異物を体内に取り込む瞬間は非日常的で、すごく興味を引く。






私はがんばって食べた。
米も1人で完食した。


ザクザク熱々のカキフライはとても美味しかった。









私が一生懸命米完走を目指していると



お兄さんが





「これくらいの電マ買った」


と言い出した。




なんの脈略もなく。








私はニヤニヤが抑えられなくて
しばらくニヤニヤしていた。



こんなに表情筋は私の意思を無視して動くことがあるのか、と自分の表情筋の無情さに、裏切られた気持ちになった。





もう表情筋を信じられない。












表情筋との溝は深い。








その後お兄さんの家へ向かった。


男の家なんて1年半は行ってない、ということに家に上がってから気づいた。





そして、1泊のつもりが4泊することになる。




とりあえず、ひと区切り。












-

読書感想文とかいう




小学校
たしか、5年生の時。





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有名な国語教師が来て授業を行う。



それを他の学年の先生、学校にいるほとんどの先生が集まって見にくる日があった。



その人は明るい印象のおじいちゃんだった。たしか、灰色の渋めのジャケットを着ていた。





内容は、A君がB君に悪いことをした。
B君はA君に仕返しをした。

悪いのはどちら?


というようなもの。




「悪いのはどっちでしょう」というお題が出て
悪い方をクラスの全員に発表させた。



「A君」「B君」



たぶん「さきにやったA君が悪い」っていう答えた子が多かった気がする。





私は同調圧力とハブられることに敏感な子どもだった。




そんな私が


「先に始めたA君も悪いけど、やり返したB君も悪い。どちらも悪い」


と答えてしまった。


「A君」 「B君」


という答えの中に 




「どちらも悪い」


という答えを生み出してしまった。



それからそのおじいさん先生は楽しそうに「新しい選択肢」「新しい展開」として「どちらも悪い」と言った私だけを新しい答えの例とした。



私は「1人だけ違う」ということに涙が溢れてしまった。我慢はしたけど。




自分だけ違う、ということだけがダイレクトに突きつけられて、土俵に上げられて注目されることに当時の私は耐えられなかったんだろう。



あの時はとても辛かった。
だから今でも覚えているんだ。





今思えば、いきなり涙を溜め始めた小学生におじいさん先生はとても戸惑ったことだろうと同情の気持ちが湧いてくる。(まだ生きていたらお菓子でも持って行って謝りたい。ごめんなさい)




でも、話を進めるうちに私の意見に加勢してくれる子たちが出てきて、私はすごく心強かった。


国語の授業で1人意見が違うことで陸の孤島にいた私。私の島に人が来てくれた。





授業が終わると、私のノートを観に、後ろで観ていた先生が近づいてきた。私のノートを観て、何かメモを取っていた。




時々そんなことがあったように思う。






読書感想文が好きだったし、意見が人と合わないことの方が多かったから、昔から変なことを書いていたのだろう。




みんなと違うから目に止まったのだろう。










大学のゼミの授業で毎回2,000字の感想を書かされた。授業自体は合同で、ゼミの先生ではない人が授業をした。感想文は各々のゼミの担当の先生が読む。





10回ほど授業があったあと、ゼミの先生と話をすることになった。
名前を言うと「ああ、君が〇〇か」と。




特になにも言われなかったが、きっと感想文を読んで頭に止まっていたのだろう。
そう思いたいが。







感想文は書くと止まらなくなる。
自分の中で心に引っかかった部分を噛み砕いて、咀嚼して、客観的に観た視点とそれに対する自分の感情を書くことができる。




たぶん、自分を表現するのが好きなのだろう。実際、口頭で喋るより文字に書いたほうが言葉がすらすら出てくる。





そんな視点で書いていると、規定された2,000字を超えて3,000字、4,000字と書いてしまった時があった。


だから先生はただ単に

「ああ、あの長文を書いてくるやつか」と思ったのかもしれない。










読書感想文を書いて嫌だった思い出がない。


















いや、嘘をついた。


最初はすごく苦手だった。









自分の感情を言葉にすることができなかった。




それが、学年が上がっていくとだんだんと書けるように、最低限のことは書けるようになったと思う。






宿題の中でも読書感想文だけは1番好きだった。楽しかった。


なんなら、毎回読書感想文でいい、とさえ思っていた。







自分の書いた文章に、自分の持った感情に、先生が丸をして褒めてくれるというのはとても嬉しい体験だった。






特に、表現の仕方や言葉選びを褒められるのは嬉しかったと思う。



習ってない表現を使ったときも褒められた。 




私はそんなふうに、たびたびネットの議題に出される「読書感想文」に肯定的な感情を抱いている。







だからなんだ、ということだが。







否定的な人が多い、嫌いだった人が多いものを好きだった、というのもまた「大勢と違う」結果になってしまっている。












それで私は泣くことはない。

もう涙を溜めることはないし、おじいさん先生を困らせることもない。












みんなが嫌う読書感想文が

僕には救いで、

僕には自分を認められてもらった数少ない経験の1つになっているということ。





ただ、それだけだ。








良い、悪いかはわからない。



ただ、そんな「読書感想文」の思い出の話。

















2020/10/20

軽蔑はさくらんぼの味


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薄暗い朝 全てのものが夢の中で眼を覚ます準備をしている あなたと私は霧の濃い森の中で体を重ねる やっと鳥が一羽二羽囀り始めた 森の中はシンとし 木々達も眠っている 2人の白く透明な肌が互いを行き来する 色といえる色はその唇くらいだった










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体の形に目を沿わせて


指先で触って


曲線を


美しさを感じるから


指先で触れたい




思わず触れて


噛み付いて


しゃぶり尽くす




















物書きはすべてをおかずにするんだ

すきあらば すきあらば

どうやって私の言葉を食べるの?


よく噛んで あなたの液で溶かして

また口付けて



















太宰を読んでいた



読むのをやめた



茶を飲むように陰部に指這わせ 自慰をした





果てて 太宰を読んだ












軽蔑はさくらんぼの味か










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私は不道徳な人間かい?










太鼓の響きが煮詰まった脳を貫いて心地いい。




骨の髄まで朽ちないと書けないのか








セックスをしなければ善良な人間かい?



愛する人を持つ人間とセックスをしないのが私の道理で善なんだよ それだけだよ







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いっしょに罪をおかしましょう





今夜 共犯者になろう















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街灯 水飛沫 ビルの灯り 38 トレパレーション







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柔い唇が首に這う




肌は湿りを帯びて人の芳香を漂わす



ぬらぬらと光る濡れた髪と


吐息は融合す





淡々と 生きることを食べて死ぬ







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蜘蛛の巣に落ちて 糸が手首に絡み付く

身を委ねる 暗闇に射す光が綺麗だ

君の牙が肌を貫くけど ぼくは痛くない

それは本当の痛みじゃないと知っているから

ぼくは痛くない 痛くない


甘い深海で息をする












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浮浪者の音

滴り落ちた赤と黄の絵の具の波紋

高級娼婦を従える男あれば
酔いどれ老年男の足取りは重く路地にこだます

世の不可解な様よ 富あれど愛は彷徨う

地に這う玉虫










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街 水飛沫 ビルの灯り
3
8
トレパレーション
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